連載小説「眠らない女神たち」  第二話 『多面的トレード』(後編)

Serial Novel 2016年04月08日(金)

連載小説「眠らない女神たち」  第二話 『多面的トレード』(後編)

多面的トレード

絶対に真似できないものが彼女にはある。同じ土俵にはけして立つことのない人だ。
だから私は勝った負けたなどと気負わずに会話できる。
それが夜遅くのオフィスの力なのか、彼女自身の力なのかは私には分からない。

「私もそんな化粧をしてみたいとは思うんだけどねぇ、敏感肌だから出来ないんだぁ」

間近で困ったように笑った彼女にはそばかすがいっぱいあった。もしかしたら日焼け止めにも気を遣う肌質なのかもしれない。私が今まで見過ごしてきた何かがそこに存在していた。

「敏感肌にも優しい化粧品があるよ」

マグカップに追加のお湯を注いで、市村さんに話しかける。彼女は顔をしかめた。

「だめなんだぁ。1週間も使うと真っ赤になっちゃうんでぇ」

聞けば無添加の基礎化粧品でも日によって使える使えないがあるのだそうだ。
さぞかし不便だろう。女性の身体は1ヶ月の間にも変動する。

1日の間でも肌は揺らぐとも聞いた。
何と戦っているのか、とにかく女性の身体はそういう風に出来ているらしい。

「あ、でもねぇ、最近は塗っても荒れないグロスを見つけたんだよぉ」

少しはしゃいで市村さんは言った。たまらなく嬉しい、と眠そうな目がいっている。

「そっか」

私ははしたなくその場で紅茶を啜って、よかったねという言葉を飲み込んだ。ちょっと熱い。

「畑中さん、そこはさっきみたいに笑って言うといいよぉ」

やっぱり彼女は少し変わっている。唐突にそんなことを言い出すなんて。
私はぷくっとふくれて見せた。代わりに彼女がへらっと笑って歩き出す。

彼女の後を、私が紅茶を飲みながらついていく。今はいいんだ。ほんの少し子供っぽく振る舞ったって、午後9時を過ぎたフロアでは誰も私たちを見ていないもの。

席についてタスクバーにしまったメールソフトを見ると、待っていた返信が届いていた。内容にも不備は見当たらない。私はそのメールを他のチームメンバーに転送した。

「早く帰りなよぉ」

私のメールを受信した市村さんが優しい声で言った。

「早く帰って、今日くらいはたくさん寝るんだよぉ」

「知ってたの?」

「知ってるよぉ。伊達に隣に座ってないよぉ」

「まるで修学旅行みたいなこと言うけど、今日の睡眠時間は3時間」

指を3本立てて私が言うと、彼女は

「うひょー」

と言った。

市村さんにうながされて帰り支度をする。

広げていた書類をまとめてファイルに仕舞い、マグカップを給湯室で洗い、ついでにお手洗いでさっとメイクも直した。
デスクに戻り、パソコンの電源を落とす。スリッパからパンプスに履き替えた。

「じゃあ、お先に失礼します」

丁寧にお辞儀をすると、市村さんもキレイに体身体を折りたたんでお辞儀をした。

「お疲れ様でぃす」

眠そうな顔でへらりと笑う。私もへらりと笑ってみせた。
あまりうまくは出来なかったけれど、それでも彼女は満足そうに笑っていた。

会社を出て駅に向かう。久しぶりにこんな時間に歩いた。普段はもっと遅い。コツコツと響くパンプスの音も、今夜は他の雑踏に紛れていた。

「今日はコンビニに寄って帰るよぉ」

私は市村さんを真似た独り言を呟いた。

自宅の最寄り駅のそば、利用客の多いコンビニに寄るのだ。そしてスイーツを買って、家で食べる。2つくらい買ってしまおうか。翌朝の朝食にパンを買ってもいいな。いいんだ、誰も見ていないもの。

明日、市村さんにたくさんの点数シールをあげたら、また「うひょー」と言うに違いない。
それを聞いて明日の私はへらりと笑ってみせるのだ。

第三話 『グレープフルーツのユウウツ』(前編)」に続く

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