連載小説「眠らない女神たち」 第二話 『多面的トレード』(前編)

Serial Novel 2016年04月01日(金)

連載小説「眠らない女神たち」 第二話 『多面的トレード』(前編)

眠らない女神たち

「畑中さん、それ貰っていいですかぁ」

隣の席の市村さんが、私が今し方コンビニで買ってきたサンドイッチを指さしていった。
今日は水曜日の午後8時、週1回のノー残業デーだ。
フロアには人もまばらで同じデスクの島には私と市村さんしか残っていない。

「ああ、はい」

私はコンビニの袋ごと彼女に渡した。

「ありがとうございまぁす」

市村さんはへらりと笑い、サンドイッチを手にした。
そしてネイルのしていない爪で丁寧にシールを剥がした。
またサンドイッチを袋に戻して、私に手渡す。

彼女はコンビニのパンやスイーツに付いている点数シールを集めて景品と交換するのが楽しいのだそうだ。期限内に点数が思うように集まらないと、こうやって他人にシールをねだる。

最近では部内のメンバーが勝手に彼女のデスクに持ってくる。

いつだったか入社したての男性社員が面白がって、同期や別フロアの社員からシールを数十枚集めて彼女のパソコンモニターにぐるりと貼った。午後から出社した市村さんは

「うひょー」

と言った。

本当に「うひょー」なんて言う人がこの世にいることに私は驚いた。

眠そうな目をいつになくきらきらさせて興奮する市村さんにも驚いた。
私には、なんだかうらやましいい気持ちがした。

市村さん本人をうらやましいというより、その無邪気さをうらやましいと思っただけだ。

「私のパソコン、いつからライオンになったんですかねぇ」

なるほど、モニターがたてがみをつけているように見えなくもない。
けらけらと笑う同世代の彼女が急に幼く見えて、多少不安になった。

たまたま近くを通りがかったフロア長が男性社員と市村さんをたしなめたのを見たせいかもしれない。 総務部のおばさんは『備品を大事に』と書いた大きな貼り紙を掲示板に貼っていった。

けれどこの事件は概ね好意的に面白がって受け止められ、市村さんの点数シール集めが拡がる一因になった。私は多くの好意的なタイプである。

「今は何がもらえるの?」

席に座りながら尋ねた。

「スープボウルでぃす」

市村さんはシールを台紙に貼っている。私は「なんのキャラクターの」を文頭につけるのを忘れた。 聞いたところで興味がないから覚えたりはしないけれど。

強いて言えば、彼女が日々、嬉しそうに点数を集めていくのを見るのが面白いのだ。
私はコンビニのスイーツには詳しくはない。

数百円のお手軽なスイーツを食べるなら、倍以上の値段を払ってでも専門店でコーヒーや紅茶とともに味わいたい。
あるいはデパ地下でテイクアウトして、自宅で丁寧に淹れた飲み物とゆっくり楽しみたかった。

もう数ヶ月そんなゆっくりとした時間は過ごしていない。私は自然とため息をついていた。

「お疲れですねぇ」

台紙を鞄にしまった市村さんが声をかけてきた。

「ちょっと忙しくてね」

私はパンプスを脱いでスリッパに履き替えた。もう少し仕事をまとめてから帰ろう。

「なにか手伝えることはないですかぁ?」

彼女の語尾を伸ばすこの喋り方が、最初は苛立ちを覚えたものの今ではすっかり慣れてしまった。逆に会議や打ち合わせの席でハキハキと話す彼女に物足りなさを感じるほどだ。

喋り方も歩き方も彼女は少し変わっている。でも異常ではない。化粧っ気のない顔と今まで染めたことのないベリーショートの黒髪、ネイルもしない。
なのに私が髪をちょっと切ったり、新しいネイルやメイクをすると絶対に気付く。

そして一言二言褒めてくれる。

彼女が『ちょっと変わっている』タイプでなければ、私は毎日敗北感にさいなまれただろう。

「こっちは平気。市村さんは余裕なの?」

妙に冷たい声になった気がした。ハッと市村さんを見たが彼女は平然としていた。

「私のは急ぎじゃないんでぇ」

いつもの眠たそうな目でパソコンを見ていた彼女は答えた。ちなみに彼女は午後から出勤する勤務形態を取っている。理由は尋ねたことはない。

「メール返ってきたらぁ、畑中さんは帰ってくださいねぇ」

私は内心驚いた。市村さんはたった一通のメールが来ないために私が帰れないでいるのを知っていたのだ。彼女の傍にいると驚くことが多すぎる。私はただうなずいて書類をデスクに広げた。

仕事を続けている間にフロアに残っていた何人かも帰ってしまった。
営業部や決算前の会計課では多くの人が残っているのだろうが、あいにくフロアが違う。

私はコンビニのサンドイッチをもそもそと食べた。
ああ、アメリカンダイナーの大きなローストビーフサンドが食べたい。

いつもは飲まない炭酸飲料を注文して、ジョッキのようなグラスで、ああ。食べているのにお腹が空くとはどういうことだろう。心が飢えているということだろうか。

私はマグカップと同僚にもらった紅茶を手にして立ち上がった。
紅茶でこの飢えた心を満たすことはできないと分かっていても、なにか飲みたい。

でも、もう一度コンビニに行く気にはなれなかった。
ウォーターサーバーでお湯を淹れていたら、途中でボトルが空になってしまった。

つまり、私が大きなウォーターボトルを付け替えなければいけないということだ。
私はサーバーを蹴飛ばしたくなった。

残り少ない状態なら業者が付け替えてくれるけれど、この時間帯は自分たちで始末をつけなければいけない。なにより中途半端に紅茶を淹れてしまった私のために。

空のボトルを外して、とりあえずその場に置く。
7kgある新しいボトルをずるずると傍まで引きずってきた。これを持ち上げなくてはならない。

「無理だよぉ」

市村さんがいつもの眠そうな顔で私の傍に立っていた。
パンプスを脱いだ私より頭一つ分小さい彼女が、そっと私を押しのけた。
と、大きなボトルをぐわっと持ち上げるといとも簡単にサーバーに取り付けてしまった。

あの小柄な体躯にそんなに力があることが意外で仕方ない。

「おお」

私が感嘆の声を漏らすと、市村さんは眠そうな目で私を見た。
何も言わない代わりに私の顔をまじまじと見つめる。私はとっさに身構えた。

「キレイな化粧してる人に無理はさせられんよぅ」

彼女は何が面白かったのかへらりと笑った。昔見た時代劇の田舎娘のような言葉に私も笑った。

市村さんは空のボトルをサーバーの横に置いた。既にそこにはいくつか空のボトルが並べてあった。 手慣れた作業に何度も彼女がこうしてボトルを取り替えてきたことがにじみ出ていた。

第二話 『多面的トレード』(後編)」に続く

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