連載小説「眠らない女神たち」 第一話 『チョコレートの魔法』(前編)

Serial Novel 2016年03月08日(火)

連載小説「眠らない女神たち」 第一話 『チョコレートの魔法』(前編)

連載小説「眠らない女神たち」

しゃがんでウォーターサーバーからマイボトルにお湯を注ぐ。まだ昼前だというのに私は酷く疲れていた。七分目まで注がれたお湯にティーバッグを放り込み、蓋をする。よっこいしょ、と立ち上がると、視界の端に入り込んだ明るい栗毛。心臓が跳ねた。悪い意味で。

「お待たせしました」

私はその栗毛の持ち主に愛想笑いを浮かべながら、ウォーターサーバーの前を開ける。見慣れた眉間のしわが今日はより一層深く見える。ナチュラルに見えて隙のないアイラインが私は苦手でたまらない。

アイラインだけじゃない。緩くカールした髪も腕まくりしたシャツもタイトなスカートも本当に苦手だ。欲しいと思っていたリバティ柄のマグカップも苦手になった。彼女の、畑中美月の存在そのものが私は苦手なのだ。

マイボトルをデスクに置いて、ひっそりとため息をつく。水川千陽と自分の名前が書かれたカードーキー兼名札が、胸の前でぽんぽんと揺れる。私にはそれが酷く疎ましいものに見えて、ギュッと胸に押し当てた。

この名札を捨ててしまえたら、美月と二度と会わずに済む。けれどそれをしないのは、美月のせいで仕事を辞めるのが癪に障るからだと私は分かっている。美月に負けた気がする。私は一見価値のない対抗心が、私自身を水川千陽たらしめていると知っている。

美月は私と同い年で、同じチームで働いている。繋がりといえばそれだけだった。例えクラスメイトであったとしても、会話はおろか挨拶さえ満足に交わさないほどタイプが違う。

それが、両手で足りる人数のプロジェクトチームに押し込められたのだから、ウマの合わない人間がいるのも致し方のないことだ。

表面上はうまくやっていると思う。何も知らない男性社員に「いいコンビだね」と言われたこともある。その男性社員は私の心の中で抹殺されたが。美月は美人で気が強く、仕事が出来る。何でも勝ち負けで考える所謂「マウンティング女子」だ。

そして言葉がきつい。私が先生だったなら、他に言い方があるでしょ、と指導したに違いない。事実、他の女性社員がお昼休みに愚痴っているのを幾度も耳にした。何一つ美月に勝てない私は、その愚痴に賛同しながらも「そうね」としか言えなかった記憶がある。

その気の強い美月に、私は先ほどお説教を食らったのである。お説教?違う、あれは八つ当たりだ。プレゼンの資料が揃っていないだのデータが足りないだの、挙げ句「察しが悪い」と有り難い称号までいただいた。

私は反論しなかった。事前に依頼されたデータは全て提出したし、見やすいように加工までした。どうやら彼女はその先の踏み込んだデータが欲しかったらしい。

秘書でもない私が、美月の仕事内容や状況まで把握するのは無理だし、無意味だ。私には私の担当があり、その範囲内であれば手伝いもしよう。あくまで手伝いだ。私に全うすべき仕事がある限り、それをおろそかにすることは出来ない。誰だってそうだろう。

私はティーバッグを捨てて、ゴクリと紅茶を飲み込んだ。いつもより苦々しく感じるのは、今も美月が八つ当たりの嵐をまき散らしているからに違いない。

あーあ、あの女の子、太田さん、だっけ?まだ派遣されて1週間経ってないのに。どうしてまだ出来ないのって、そりゃ教わってないからだろ。

美月の機関銃というよりは散弾銃のような言葉に耐えている太田さん(仮)が気の毒で仕方ない。あんまり追い詰めると明日から来なくなるぞ。うちらより10才も若いんだから。

私は引き出しをあけて、お徳用の袋に入った小分けのチョコレートを1つ取り出した。ミルクチョコレートだった。猫のイラストが描かれた付箋にメッセージを書いて、チョコに貼り付け、少し離れた太田さん(仮)とやらのデスクに置く。

まだ支給されたパソコンと筆記用具しか置かれていないデスクが、寂しげで不安そうに見えた。

私がFAXを受け取って自席に戻ると、太田さん(仮)が美月の嵐から解放されたところだった。自分の席に置かれた小さなチョコを手にきょろきょろと辺りを見回している。私はにっこり笑って小さく手を振った。太田さん(仮)は疲れた笑顔を見せて、会釈した。

数分後、私の社内メールに太田さん(仮)からメールが届いた。

『水川さん チョコ、ありがとうございました。メッセージもとても嬉しかったです。太田』

どうやら太田さんで合っていたようだ。パソコン画面から目を上げると、太田さんと目が合った。今度はにこっと笑ってくれた。いい子じゃないか。

美月は同じ島のデスクでまだ眉間にしわを寄せている。違うな、彼女はデフォルトで眉間にしわが寄っているのだ。目が悪いのか不機嫌なのか、もっと別の理由があるのかもしれないが、憶測に過ぎない。そして尋ねる義理もない。

第一話 『チョコレートの魔法』(後編)」に続く

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